この都市は、なぜ記録からこぼれ落ちているのか。

地図にもネットにも、ほとんど痕跡が残っていないこの都市には、“忘れられることを前提に作られた街”のような雰囲気があったんだ。
レンガの隙間に草が揺れ、空の色がなぜか深い藍色に見える。
時計塔は動いているのに、人々の会話から“現在時刻”という概念がすっぽり抜け落ちているような──そんな、ズレた空気をまとった街。
「都市なのに静かすぎる」「なぜ記録が残っていないのか」──それが、ぼくの最初の違和感だった。
📌 行政区画にも登録されていない“非存在都市”
📌 公文書からの抹消ではなく“最初から無記録”
📌 住民の生活音だけが異様にクリアに響く
📌 現地住民も“観光客”の存在を意識していない

不思議じゃなくて、論理的な“記録の空白”なのかもニャ〜。
“記録にない街”は、本当に存在しないのか。

見つかったのは「私的記録ログ」だけ
行政資料、統計、観光ガイドブック、すべてに“カレント”という名前がなかった。代わりに見つかったのが、戦後の文筆家・大槻宗次郎による個人的な旅行記。「忘却都市への散歩」と題されたその記録の中に、“時計塔が3回鳴るまでは名前を持てない街”という記述があった。
📌 1948年発行の旅行記に「風の抜ける都市」と記載あり
📌 都市名ではなく“空間の性質”として描写される
📌 地理座標は掲載されていないが、隣接都市の距離関係から割り出し可能
また、国会図書館のアーカイブには、1985年の高校地理研究会による「消えた地域構成研究」が残っていた。そこには「1960年代の都市計画図面にのみ登場し、以後抹消されたエリアが存在する」との記録が。
- 旧版地図における“無名ブロック”の存在
- 住民基本台帳に未登録の人口推定エリア
- 年報『都市と辺境』にて「地理的に存在するが行政に認識されない空白地帯」と定義
時の裂け目に触れた夜、都市は語りかけてきた。


空気が張り詰め、あたりの音が“記録される前の無音”に変わる。その瞬間、足元の地面に裂け目のような光の帯が現れて…。
“記録前の時間”に入り込む感覚
光の裂け目の先には、見覚えのない町並みが広がっていた。
それはカレントと酷似しているのに、街灯の色、建物の角度、通りの傾きすらわずかに違っていた。
まるで「記録に残る前の試作都市」だった。
その空間では、言葉を発しても“音”として定着せず、ただ口の動きだけが自分の中に記録される不思議な現象が続いた。
📌 視覚情報は鮮明だが、写真には一切写らない
📌 時計塔の鐘の音は“耳ではなく骨”に響く
📌 言葉を使わず、“存在を認識するだけ”で通じる意思疎通

名前も音も持たない空間、ナギは1度だけ迷い込んだことあるニャ。あそこでは“記録すること”そのものが都市への干渉なんだニャ〜。
“記録しない旅”を選ぶことはできるのか?

“記録しないことでしか残らない記憶”がある気がして──。
記録しない旅のすすめ
メモも写真も使わず、“その場で感じたこと”だけを記憶する。
そうすることで、記憶の質が変わることに気づいた。旅の中で本当に印象に残る風景や人の表情って、記録より先に感情として刻まれているんだ。
📌 “記録用デバイス”を一切持たない時間帯を作る
📌 記憶に刻む手段として「スケッチ」や「声」を活用する
📌 日記は後日まとめることで、旅を再編集できる
- 音や匂いを手がかりに記憶を構築する
- 同行者との“会話”こそが旅のログになる
- 名前のない路地を、心で地図化してみる
カレントでは、そんな非記録の旅が自然とできた気がする。

ナギ的には、旅の記録は“脳の奥”にだけ残しておくのがいちばん贅沢だと思うニャ〜。
その都市は、記録ではなく、感覚の中に存在する。
旅の終わりに振り返ると、カレントという街は本当に存在していたのか、自分でも確信が持てなくなる瞬間がある。
でもそれは、「記録がない=存在しない」という論理とは違う。
“自分の中にだけある場所”──それもまた、旅のかたちなんじゃないかな。
- 記録されない都市には、“感覚でしか届かない景色”がある
- 知識やデータではなく、“肌で覚えた風”が鍵になる
- 旅を通じて「自分自身の記録の仕方」を再発見する
📌 検索をやめて、歩くことから始める
📌 存在しないはずの風景を“思い出の中”に描く
📌 次に記録する時は、“存在しない場所”という前提で旅してみよう

“次にこの都市に触れる誰か”に、そっと手渡していけたらいいな。